Elie Cartan
カルタン、エリー (Elie Joseph Cartan, 1869.4.9-1951.5.6).
フランス、イゼール県、ドロミュー ( シャンベリーの近く ) に生まれ、パリに死す。 ドロミューは寒村で、鍛冶屋の子として生まれるが、小学校のとき郡の視学官に認められて給費生として高校まで進学。 19 才でエコール・ノルマル (1888) に入学、 ポアンカレ 、 ダルブー 、 C. エルミート の講義を聴く。 1891 年卒業し、教授資格試験を主席で合格。 1 年の兵役の後、 1894 年にパリ大学の理学博士になる。 モンペリエ大学 (1894-1896) 、リヨン大学 (1896-1903) 、ナンシー大学 (1903-1909) 、パリ大学 (1909-1940 、 1912 年に教授 ) に勤める。 4 人の子のうち長男 アンリ は数学者であり、作曲家のジャンは 25 才で死に、物理学者のルイは 1942 年ドイツ軍の捕虜となり 15 ヶ月のちに処刑された。
連続群論、とくに リー 群・リー環の代数的基礎づけ (1894) 、半単純リー環の表現論 (1913) 、リー環の構造論、複素・実の単純リー環の分類 (1914) 、微分幾何学 ( 接続 ( アフィン・射影・共形 ) の理論、動標構 ) 、トポロジー ( リー群のベッティ数の計算 ) 、 グラスマン 代数を使う外微分形式の理論 (1901) 、対称空間論 (1926) 、擬等角写像、相対論とスピノールの理論 (1938) など、現代幾何学の最大の源泉の 1 つである。訳者の学位論文も彼の理論の延長線上にある。
Elie Cartan 伝記:
There are various versions of E. Cartan biography available online. Some interesting examples are: The Cartan Bigraphy at the School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland (English), at Institut Elie Cartan (French) also the Cartan’s Corner (English) and Divulgamat (Spanish).